家族に関わるお仕事「訪問看護」についての小さなお話し会(7月15日)報告

看護の仕事に関心をもったのは、子どもの頃に曽祖父らが家で人がなくなるのを身近に経験をしたからではないかと振り返りながら、自己紹介を兼ねてこれまでの経歴からスタートした船木巳加さんの「訪問看護」についての小さなお話し会。

病院での看護では治療のために来院する「患者」にしか出会えない。そうではなく「生活者」に出会いたいとの思うようになり、家庭を訪問する看護の仕事に転職。
終末期のケアなどに従事するなかで、認知症の世界観、看取りの尊さにも触れていきます。その後、「世界でいちばんの病は、孤独である。誰にも必要とされず、誰にも気に留めてもらえず、すべての人から見捨てられているという孤独である」というマザーテレサの言葉に出会い、精神科の訪問看護の道へ。

精神科の訪問看護では、病気への理解や、特性を見極めること、薬の使い方やタイミングの指導、きめ細やかな他職種との連携など様々な対応をするなか、最も大切だと感じているのは、「その人の世界をどう共有できるか」だと船木さんはおっしゃいます。
訪問看護は、医師が書く「薬」の処方箋ではなく、「人」の処方箋のようなものと分かりやすく例えてくれました。
週3〜4回自宅を訪ねるなかで家族とも関わり、子どもだけではなく、家族丸ごとを支援するためとてもエネルギーが必要とのこと。その子がその子らしい時間を過ごせるようにゲームなどで一緒に遊びながら、特性を探っていきます。家族ではない、言語を介する関係性のなかで第三者だからこそのコミニュケーションを通じ、その子がなんとなく日々やっていることを意識させることで、子どもが自分を知る手助けをしているそうです。必要があれば一緒に外出をして外の空気の中で話したり、学校に出向いたりもしているとのこと。自身を家と社会の中間地点に立つ存在だと感じているそうです。
不登校や虐待の問題など、教育と福祉と医療の連携は大きな課題であることや、学校における保健室の重要性についても触れつつ、看護師だけではなく作業療法士などの専門職が、これまで家族が担ってきたケアを「訪問看護」という社会で受け止める仕組みについて、現場で感じていることを教えていただきました。

今回オンラインも含め参加者は7名。
実際に児童精神科の訪問看護を利用している方は、「親にはない専門的な目線で関わってくれ、できないこと苦手なことを叱るのではなく、理解できるように工夫してくださって、とてもありがたい」という声を寄せてくださり、「長く療育機関を利用しているが、そこからではなく、たまたま友人が訪問看護に関わっていて教えてもらえてラッキーだった。もっと周知の必要性がある。例えば、療育の先生にまずは知ってもらうようにしたり、精神科の病院にポスターを掲示したりしては。」というアイデアもいただきました。
また、他の参加者の方からは「とても参考になった。心の問題は自分や家族が、当事者にならないと、見えない世界。スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーの在校日を増やすのも必要だが、大人が合う先生に出会うまで転院が出来る様に、子ども達も合わなければ、違う人に変えられる仕組みが必要だ。今日のお話しの中で、看護師ひとりだけではなく作業療法士など何人かで対応する仕組みは、子どもにとって良い事だと感じた。」また現代は「心を健やかにいられない社会」であると改めて思ったそうです。

在宅でのケアを家族以外の専門家が支える「訪問看護」。必要としている子どもたちは多いのではないでしょうか。
ニーズがあるにもかかわらずこうした児童精神訪問看護が増えない理由として、周知が行き届いていないことのほか、診療報酬の問題や加算ポイントの低さなどがあげられます。また自宅以外でもサービスを受けられるよう制度改正が必要です。
学校に行きづらさを抱える子どもに、第三者が付き添っていけるような送迎サービスがあれば助かる親子はたくさんいると感じると、通学支援の必要性についてもお話しいただきました。

必要な人に適切なケアを届けるためには、今よりももっと使いやすい仕組みにする必要があります。今後も情報交換をしながらどんな提案が行政に対してできるのか考えていきたいです。