「声」をあげてもっと暮らしやすいまちにしていこう
国立駅前での合同遊説に参加しました。市民の皆さまや先輩たちの前で、とても緊張しましたが、今の思いをお話ししてきました。
国分寺市で二人の子どもを育てながら、非正規雇用の立場で働いてきたこと。
子育てをしながら働きながら、胸が塞がるような政治のニュースをたくさん目にして、こんな時代にどう子育てしてゆけばよいのか、悩むなかで、この責任の一旦は、自分自身にもある、と思いはじめたこと。
地域でできることはないかと、公園や保育園でのお話し会、憲法や子どもの権利、性教育を子どもたちが学ぶ場、放課後の学校での遊びや学びの場、暮らしを見つめ直すきっかけになるような手仕事のワークショップなど小さな会をたくさん積み重ねてきたこと。
振り返ってみると、その原動力となったのは、社会問題に対して声を上げなかった、自分自身への反省からだと気づき、このままではいけない。拙くてもゆっくりとでも、自分が感じた違和感に目を背けず、自分自身で考えてみよう、そう思い無我夢中で動いてきたこと。
そして、生活者ネットワークの方々と出会い、その活動や思いに触れ、「今からでも遅くはない」「私にもできることがある」「まずは自分の、家族の、多くの友人たちの、皆さんの暮らすこのまちから、少しずつでも変えていけたら、変えていける!」そう思うようになったこと。
最後に大切にしている二つの言葉についても聞いていただきました。
ひとつは、
「The personal is political 個人的なことは政治的なことである」というフェミニズム運動のスローガンです。感じている生きにくさを「私だけの問題だから」と胸に留めず声に出していこう、暮らしと政治はつながっているのだからという勇気が湧いてきます。
もうひとつは
「私たちは微力だが、けして無力ではない」
これは核兵器廃絶を訴える長崎の高校生たちの活動の合言葉として広まった言葉です。
圧倒的に感じられる大きな力の前で、自らの存在や活動など無意味なのではないかと打ちひしがれたとき、それでも前を向く力をくれました。
今度は、私の発した言葉がどなたかの生きる力につながっていきますよう、またその言葉が私の行動を導き、みなさまの声を重ね、今よりもっと暮らしやすいまちをつくっていくことに、力を尽くしてまいります。
ぜひ、みなさまの声をお気軽にお寄せください。
どうぞよろしくお願い申し上げます。